アメリカ1人暮らし初夜(寮)

米 留学

リンおばさんお迎えに始まり、初日からまったく懐かしくもないキッコーマン醤油に出会い衝撃を受けたのでした。

食事の後、寮まで連れていってもらう道すがらリンおばさんが「オクラホマは道も広いから車やバイクも楽しいわよ」と言ってきたので、「日本でバイク乗ってたよ」と言うとバイク好きなリンおばさんが食いついてきました。

リン「えー、何乗ってたの?」
自分「カワサキのニンジャ(GPX)250㏄だよ」
リン「オーニンジャ!250?はーっはっはっはっは。250ccなんてバイクじゃないわよ~。ハーレーなら1000ccはあたりまえよ~」

と、なぜか大笑いされました。アメリカでもバイクは盛んなんです。アメリカ製のハーレーダビッドソンか、日本製のスズキ・カワサキ・ホンダをよく見かけました。カワサキ車はアメリカ人にわかりやすく全部「Ninja」の名前で売られていました。スズキはカタナかハヤブサですね。どちらも大人気ですが、面白いことにハーレーは白人、日本製などのスポーツバイクは黒人、と明らかに好みがわかれています。ハーレーは白人文化の象徴なんですね。バイクにインディアンと名前を付けて跨るんですから気が知れません。やはり外国からやってきてインディアン(正式にはネイティブアメリカン=本来のアメリカ人、と呼ばれています)を駆逐し国を作ったという想いがあるのかもしれません。後に750ccのカワサキ車に乗ったんですが、「これどんくらいスピード出んの?」と話しかけてくるのは黒人の方々でしたね。

その後、学校の行き方を教えてもらい、寮の管理人さん(おじさん)に部屋を案内してもらいました。寮は「ドーミトリ」と呼ばれ、男女別でそれぞれイーストホール、ウェストホールと呼ばれていました。そのまんま東と西ですね。大学生も語学学校生も同じ寮を使います。後にコモンズという立派な大学アパートメントもできますが、このころはドーミトリが3棟あるだけであとは近隣のアパートメントを利用するのが主流でした。

館内はガラーンとしてとても静かでした。このときは知らなかったんですが、ちょうど5月は学期終わりで夏休みに入ったところだったんです。2人部屋の室内はベッドと壁に備え付けのデスク、その反対側には引き出しとクローゼットがあるだけのガラーンとした部屋でした。壁はブロックを積み上げてペンキを塗っただけのシンプルなものでとてもヒンヤリしていました。アメリカの映画やドラマなんかみていると、警察署だろうが学校だろうが体育館だろうがどこを見ても「ブロックの壁」なんですが流石に映画のセット何だろうと思っていました。実際は・・・本当にどこの壁もブロック塀でした。(笑)

5月と言うと季節はもう夏。それなりに暑いんですが、アメリカの内陸部は砂漠や荒野が広がっているくらいとにかく乾燥しているので、40度くらいあっても意外とカラッとして過ごしやすいです。室内に至っては24時間365日エアコンが入っています。セントラルヒーティングというのでしょうか、個室では操作ができず、天井にある吹き出し口からボーボーと風が出ています。手紙で「全部用意してあるから大丈夫」と言われた寮の部屋は、固めのベッドに、固い枕、シーツ、薄い毛布が1枚あるだけなのでとても寒かったです。朝5時に寒くて目が覚めました・・・身体が冷房で冷え切って固まっていました。後に真冬の雪が深々と降る中、暑すぎてパンツ1枚で窓全開でノートでパタパタあおぎながら外を眺める日もくるのです。なんてムダ。後々、ほかの人に話を聞くと寝袋を使ったり、吹き出し口を塞いだりしながら、みんな工夫して生活していました。まさに「自分の身は自分で守れ」を身を持って体験した初夜でした(笑)

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