一度、「やっぱり脳出血による記憶障害だ」と思った出来事がありました。
前回も書きましたが、毎日お医者さんだけで5〜6人は入れ替わり立ち替わり来ます。
看護師さんも男性が意外と多かったのには驚きましたが、朝晩交代しながらローテーションで20人以上が来るので、中々名前も覚えられず半分諦めていました。
その中でもリハビリの先生は固定で担当してくれるので、それくらいは覚えようと思ったのです。なんせ手が麻痺していて字が書けず、メモも取れないので覚えるしかありませんでした。
ある先生が担当になってリハビリに来てくれました。北川景子似のスラっとした若い女性でした。珍しい苗字だったのですが、よく聞く苗字だったので「これなら忘れない」とほっとしました。
ところが2,3日経って病室に来てくれた時には、すっかり苗字を忘れてしまっていました。
この病院の人たちはみんな突然やって来ます。
この日も北川景子先生(仮)は急にやってきました。
大体寝てるので急に来られると惚け眼で「ああどうも」と反射的に言うんですが、頭がボーっとしていて名前が出て来ませんでした。顔はもちろん、会話の中で聞いた住んでる市もわかるのですが、苗字だけが出てきません。
珍しいけどよく耳にする苗字。
「今日は調子どうですか?」の質問に答えながらこっそり名札を見てやろうと考えていました。
見たらきっと思い出す、そう信じて。
この病院はセキュリティも厳しく、病棟間の移動にはIDカードをかざさなくてはいけないのです。職員さんは皆首からカードケースをぶら下げ、その中に名刺を入れています。
右に左に揺れ、裏返ったりする名刺を、会話を続けながらチラチラ盗み見していました。が、中々見えません。字が小さいのもあるんですが、左目の錯視の影響でブレて見えてしまうのです。
「ちょっと右手見せてください」と言って近づいて来たとき、
「チャンスだ」と思いました。
揺れるカードケースを横目で凝視しました。
見えました。そして、愕然としました・・・。

・・・俺にも何が何だかわからないが、その時起きたことをありのままに話すぜ・・・
・・・めっちゃ簡単な「ありふれた苗字」だったのです。
それこそ、石を投げたら必ずその苗字の人に当たると言われているくらいありふれた苗字だったのです。おそらく多い苗字トップ5に入っているでしょう。
一度聞いて珍しい苗字と思ってたくらいです。忘れたとはいえ、もう一度聞けば「ああそうだった」と思い出せるはずです。ところが、全く記憶にもなく珍しいどころか逆にかんたんな苗字だったのです。

「・・・終わった。」
と思いました。
「やっぱり脳障害が起きてる。そう言えば、出血により死んだ細胞はもう戻らないって言われてたなぁ、俺これからどうなるんだろう」
と茫然としていました。
そんな様子に気を使ってくれたのでしょう。
「リハビリは今日はやめて気分転換に食堂行って見ましょう。ずっと病室にいると退屈でしょう?」
と、車椅子で散歩させてくれたのです。
食堂と言ってもこじんまりしたとこで、付き添いの人が休憩できるように、自販機やお湯があり、テーブルがいくつか置いてあるだけの場所でした。ただ、一面窓になっており、夕暮れの山々がよく見える場所でした。
窓際まで車椅子で行き、介助されながら手すりを持ってゆっくり立ち上がり、風景を眺めました。ちょうど2人並んで立つ形になりながら、「あっちは〇〇病院、あっちが〇〇市」と、観光案内さながらに教えてくれます。
なんとなく相槌を打ちながら、会話が途切れたときに、それでも「まさか」という思いを引きずっていたのでしょう、確認したかったのもあったと思うのですが思わず、
「田中さん(仮)・・・なんですね」
と、ボソッと呟いてしまいました。
すると、彼女の思いもよらない反応がありました。
「あっ、そうなんですよ〜。先日入籍して苗字変わったんですよ!まだ慣れなくて、名刺も前のままにして欲しかったんですけどダメって言われちゃって、今日から新しい名刺になったんです〜。でも患者さんが混乱するから旧姓で通そうと思ってるので今まで通り呼んでくださいね~。」
・・・は〜、と力が抜けました。
そんなことあります?
自己紹介されて2~3日後に会ったら名前変わってるんですよ?1週間も経ってないですよ?
北川景子さんにはその後もありえないタイミングで驚かされ、笑わせてもらい、味気ない入院生活にひと時の安らぎを与えてもらいました。
余談ですが、私の入院生活中に、担当さんが6人結婚しています。だいたい皆さん秘密にしているので何度も驚かされ、少々人間不審な今日この頃です。
入院生活は大変なことばかりでしたが、思い返すと面白いこともありましたね。病気だとついついネガティブになりがちですが、入院中の面白話なんかも書いていこうと思います。
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